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2020年09月28日のエンタメ研究所の過去記事

9月28日(月) ※9月30日以降は『いいね』を押さないでください。
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おはようございます。
今日の記事を、それっぽく引き伸ばすとビジネス書一冊ぐらいは書けると思っているキングコング西野です。
さて。
今日は『可処分精神とインテリア広告』というカッコイイテーマでお話ししたいと思います。
今日のお話しは全てのサービス提供者が無視できない問題だと思うので、身体中の穴という穴から吸収してください。
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▼ 「想われる」という強さ
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このへんの話はSHOWROOMの前田さんが僕よりも丁寧に説明してくださるので、機会があれば是非、彼の講演会などに参加していただきたいのてすが…
もともと、あらゆるサービスは「可処分所得の奪い合い」を繰り返してきました。
可処分所得」とは、給与やボーナスなどの個人所得から、税金や社会保険料などを差し引いた残りのお金…つまり、自分の意思で自由に使えるお金のことです。
可処分所得を奪えなかった者が倒れ、可処分所得を誰よりも奪った者が資本主義経済の王として君臨しました。
ところが、インターネットがオラオラ言い出したあたりから、「お客さんの可処分所得よりも、お客さんの可処分時間を奪っちゃった方がよくね?」という考えが加速し始めました。
お客さんの時間さえ奪ってしまえば、たとえばそこに広告を貼りつけて広告収入を得ることができたり、あれやこれやとキャッシュポイントを設計することができます。
最終的には可処分所得を奪っていることには違いないのですが、「可処分所得を効率よく奪う為には、可処分時間を奪った方がいいよね」と考えたわけですね。
GAFAなんて、まさに。
時代は、可処分時間の奪い合いに突入し、今、世界の賢い人達は「いかに時間を奪うか?」という課題と向き合っています。
(※「奪う」という表現は、ちょっと怖いのですが、話を分かりやすくする為に、引き続き使わせてください)
そんな中、すでに次の動きが生まれています。
それは、「Amazonって、Amazonを利用している時しか時間を奪えてなくね?」「Facebookって、Facebookを利用している時しか時間を奪えてなくね?」という疑問から始まりました。
そうなんです。
僕らは、就寝時に、Facebookのことを考えて寝ていないんです。
Facebookのことを考えているのは、Facebookを利用している時だけで、お布団に入った後は、好きな子のことを考えたりしています。
生まれたばかりの赤ん坊のことを考えたりしています。
僕の時間を最も奪っているのは、GAFAでもNetflixでもなくて、「僕が想っている人やコトやモノ」です。
可処分時間を最も奪っているのは、可処分精神を最も奪っている者で、2~3年ほど前から僕の呑み友達まわりでは「ならば、可処分精神を奪っちゃった方がいいよね」という考えが主流になっています。
つまり、「想われる人」「想われる作品」「想われる商品」になることが重要だよね、という話です。
んでもって、ここからが本題。
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▼ 想われるデザイン
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「可処分精神を奪っちゃった方がいい」という結論を出したところで、そんなもの、どうやって奪うのでしょうか?
サービスを利用していない時に、サービスに時間を使ってもらう(想ってもらう)のは至難の技です。
ただ、やりようはあります。
その一つの答えが『インテリア』です。
SNSなどの情報空間に広告を出しても、タイムラインで流れてしまいます。
つまり、広告を出し続けなければならない。
これだと、広告を出す側が稼働し続けているので、結果的に、「サービスを利用してもらっている時間しか、お客さんの時間を奪えていない」という状況と同じ。「可処分時間の奪い合い」でしかありません。
一方で……
学生の頃、僕のベッドの横の壁には、『トレインスポッティング』というイギリス映画のポスターが貼られていて、僕は毎晩、僅か数秒ではありますが『トレインスポッティング』に自分の時間を割いていたんですね。
可処分精神をマンマと奪われていたんです。
好きな映画は他にもあったのですが、その中から『トレインスポッティング』を選んだ理由は単純明快「ポスターがカッコ良かったから」です。
「友達や女の子を家に連れ込んだ時にオシャレと思われたい」という下心が発動したのでしょう。
作品がインテリアとして機能した瞬間に、その作品は図らずも、その家(店)の住人の可処分時間を奪います。
絵本を出版するのならば、家の中で棚差しされてしまうようでは弱いんです。
それだと「絵本を読んでいる時間(可処分時間)」しか奪えないので。
絵本で可処分精神を奪うのならば、飾られるようなデザインしなければなりません。
表紙カバーにある「作・にしのあきひろ」という日本語は「インテリア需要」を落としてしまうので絶対に必要ないんです。
同じ理由で、僕は自分の作品の中に「萌えキャラ」を絶対に入れません。
童貞男子のオカズになるようなキャラクターを入れておいた方が作品に瞬発力が生まれるのは百も承知ですが、それだと(お客さんが訪れる空間の)インテリアとして機能しない。
目がキラキラで、ボン、キュ、ボンのダイナマイトボディーの女性キャラのポスターが貼られた空間は、コアファンにはたまらないのかもしれませんが、一般的には「うっ…」となっちゃうので、「好きだけど、飾るのはやめとこう」となる。
これだと、可処分精神が奪えない。
インテリアに「エロ」は要らないんです。
これを上手く使ったのが、スター・ウォーズや、ティム・バートン(ナイトメア・ビフォア・クリスマスとか)だと思います。
もっともっと上手くやっているのが、「仏壇」や「神棚」です。 
あれは可処分精神を獲得する為の神仏の広告です。
今、映画『えんとつ町のプペル』の本ポスターを本気で作っています。
配るようのポスターには情報が入っていますが、販売用のポスターには何の情報も入れません。
「部屋や玄関に飾る一枚絵」として成立するように、描いています。
えんとつ町のプペル』を想ってもらう為のアイテムです。
家や店の壁も基本的には「土地」として考えた方がイイと思います。
そして、「土地」を取った者が「可処分精神」をとれるので、「どうすれば土地をとれるか?」を考えに考えた方がイイ。
だからこそ、デザインはとってもとーっても大事!
あとは「音」と「匂い」ですね(^o^)
Amazonの匂い」とか無いじゃないですか?
だけど、「神社仏閣の匂い(お香)」はあって、おかけで、鼻から想い始めることがある。
目には見えないけど、その空間その空間には、それぞれ「一つの匂い」しか存在しなくて、「匂い」にもキチンと土地がある。
その土地を奪えば、思い出してもらえる回数(時間)は増えるわけで、『えんとつ町』の匂いは独自で作って、統一しておいた方がいいと思っています。
エンタメやサービスを掘り下げれば掘り下げるほど、だいたい宗教が広告の正解を出してるんですよね。
「神様~」「仏様~」みたいなのにはまるで興味がありませんが、彼らが用いた手法からは学ぶところがまだまだありそうです。
とくに「可処分精神」の時代に入ってからは、尚更。
是非、一度、「自分は可処分精神はとれているか?」「とるためには何をすれば?」という自問自答をしてみてください。
きっと、やれることがまだまだあるハズです。
お互い頑張りましょう!!
現場からは以上でーす。
【追伸】
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