西野亮廣のエンタメsalon

西野亮廣エンタメ研究所の過去記事を中心にアップしてます

2021年03月02日のエンタメ研究所の過去記事

3月2日(火) ※3月4日以降は『いいね』を押さないでください。
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おはようございます。
蕎麦粉と小麦粉の区別がついていないキングコング西野です。
さて。
今日は『僕らは何を売るべきか?』というテーマで、ほぼ日記のような内容をお届けしたいとおもいます。
すみません。
「ほぼ日記」というか、「日記」です。
でも、まぁ、こんな回もアリにしてください(^o^)
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▼ 未来に残るものを作る
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(株)CHIMNEY TOWNに新しくインターン生がやってきました。
一人は農業娘で、一人はCHIMNEY TOWNのインターンに落ちまくって、3度目の正直で受かったシブトイ男。
以後、お見知りおきを。
二人とも、なんかイイ奴っぽいです(笑)
会社を作って良かったなぁと思うのは、年の離れた若手スタッフと付き合うようになったことで、自分の中に「父性」が芽生えたこと。
彼らは僕が死んだ後の世界も生きるわけで、そんな彼らに何を残してやれるのかなぁと考えるようになりました。
サロンメンバーさんに対しても同じような気持ちを持っています。
できれば次の世代の子達の活動を後押しする“資産”を残しておきたくて、「僕が残せる資産は何かしら?」と考えたところ、「作品」しかありませんでした。
「残る作品を生まない西野」なんぞには何の価値もないので、今日も必死です。
後輩が、ミュージカル『えんとつ町のプペル』や『えんとつ町のプペルVR』の開発を頑張る中、その根幹となる『映画 えんとつ町のプペル』がコケてしまうと、示しがつかないどころか、彼らの挑戦の足を引っ張ってしまうことになるので、死ぬものぐるいで作り、死にものぐるいでヒットさせました。
どうにかバトンは繋げたので、今は少しだけ肩の荷がおりたかな。
そんな中。
もともとは去年おこなう予定でいた(ブロードウェイの劇場もおさえていた)ミュージカル『えんとつ町のプペル』が、新型コロナウイルスの影響で延期に次ぐ延期。
スッタモンダがありまして、日本公演を先におこなうことになりました。
僕は映画を作ったので、ミュージカルの方はスタッフに丸投げするつもりでいたのですが……
公演延期が続いていて、なんだかこのままズルズルいきそうな気がしたのと、
映画の制作が一段落ついたのと、
「今後続いていくミュージカル『えんとつ町のプペル』の理念となる部分は僕が作っておいた方がいいのかも」と思ったやら何やらが重なって、ミュージカル『えんとつ町のプペル』の「演出」に手を挙げました。
映画の製作総指揮で走りきった後、すぐにミュージカルの演出です。
ドヒャー!です。
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▼ お客さんが買いに来ているものを把握しよう
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さてさて。
皆さまからすると「こんな話を聞かされてどうすればいいんだ」というところかもしれませんが、こんな話は他ではできないので、ここでさせてください。
もともとは、2020年9月にミュージカルを上演して、2020年12月に映画を公開する…というスケジュールでしたが、コロナの影響で、映画公開が先になってしまいました。
こうなると、ミュージカルの演出・脚本に大幅な手直しが必要となります。
ミュージカル『えんとつ町のプペル』には、「ストーリーを知っているお客さん」がやってくるからです。
映画の後半に出てくる「実は『えんとつ町』は、こうやって生まれたんです」というある種の「タネ明かし」は、ミュージカルではまったく効いてこないだろうなぁと判断しました。
お客さんからすると「いやいや、知ってるよ」という話なので(笑)
つきつめて考えていくと、ほとんどの台詞が重複でしかなくて、野暮です。
舞台で、映画を再現しても仕方ありません。
今は、可能な限り台詞を削り、歌とダンスと空間で魅せる方向で、脚本をゼロから書き直しています。
もともとは「そのシーンにはその台詞が必要だ」と判断したから、その台詞を入れたわけで…それらを片っ端から否定するような作業は、なかなか複雑です。
今回、ミュージカル『えんとつ町のプペル』の脚本・演出を担当することになり、あらためて「舞台」というものを観ておきたくなり、最近、時間を盗んではいろんな舞台を観に行っています。
すみません。
タラタラとした日記が続いていますが、ここから先の話は少しだけ皆さまのお仕事や生活に反映できるような話かもしれません。
ある舞台を観た時、演出が少し気になりました。
その舞台では、景色を「影絵」で表現することもあれば、「映像(マッピング)」で表現することもありました。
……皆さんの想像通り、「映像」は少し残念でした。
「映像と人間の融合」は、ずいぶん昔にライゾマティクスがPerfumeで一つの答えを出したし、『映画 えんとつ町のプペル』を作った直後ということもあって、どうしても、その映像と比較してしまい、チープ感(突貫工事感)は否めませんでした。
一方で、「影絵」には安さを感じませんでした。
「あの幕の向こうで、人間がしゃがんで、棒の先についた人形を動かしているんだな」と、構造まで理解できますが、なんだかそれが楽しかったです。
結局、「『映画』ではなく、『Netflix』でもなく、『舞台』を観にくるお客さんは何を買っているのか?」という問いだと思います。
ステージで「富士山」を表現しようと思ったら簡単なんです。
ネットで拾ってきた富士山の写真をステージ幕に投影すればいいだけなので。
ただ、舞台に来ているお客さんは、「富士山」を見たいわけじゃなくて、「なるほと、その手で富士山してきたか〜!」を見たいわけで、結局のところ、「覚悟」を買っている。
このご時世、魔法を使おうと思えばいくらでも使えるのに、素手で殴っている覚悟に感動を覚えている。
下に添付した一枚の写真を見てください。
壁にカップルのシルエットを投影しているわけではなく、「ゴミの影」がカップルのシルエットになっています。
これなんて分かりやすくて、結果(カップルのシルエット)ではなくて、「ゴミの影でシルエットを作るぞ」という『覚悟』が商品になっています。
映像技術が上がり、世の中に映像表現が溢れ返り、映像が安くなり、『結果』ではなくて、「どうやって作ったか?」という『背景』の価値が高くなってきています。
これは、舞台の世界だけじゃなく、技術のアップデートが繰り返さて、来るところまで来た全ての世界で起きていることです。
「カメラマンさん」とかが分かりやすいかもしれません。
これだけスマホカメラの性能が上がると、「綺麗な写真が撮れます」は、さすがに売り物にならない。
加工アプリだらけの世の中に、修正できない次世代Instagram「Dispo」が登場したのは、すごく自然なことだと思います。
「いつまで『機能』を売ってるんだよ。今、2021年だぞ!」と言いたくなるような仕事を時々、目にします。
時代が次に殺すサービス提供者は、この変化と向き合わず、「『結果』に甘んじ、『背景』を安く見積もった者」であることは間違いありません。
今一度「お客さんは何を買いに来ているのか?」と「自分達は何を売っているのか?」を問う必要がありそうです。
昨日、ミュージカルチームと「僕らは何を売るべきか?」という話をしました。
11月14日〜28日のスケジュールは空けておいてくださいね。
♯11月8日も
SEKAI NO OWARIのアートディレクターで、『えんとつ町のプペル』の美術を担当する佐藤さんが、素敵なことを言っていたので、最後にその言葉をお届けします。
きっと、今の時代のお客さんが望んでいることです。
セカオワのライブステージでは巨大なLEDスクリーンを背負うのをやめたんです。LEDスクリーンがあると何でもできちゃうから。…でも、やめたらやめたで、これが、もう大変で大変で(笑)」
現場からは以上で〜す。
 
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