西野亮廣のエンタメsalon

西野亮廣エンタメ研究所の過去記事を中心にアップしてます

2021年03月12日のエンタメ研究所の過去記事

3月12日(金) ※3月14日以降は『いいね』を押さないでください。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
おはようございます。
ビジネス書のタイトルがどれもファンタジーすぎて、「何が書かれている本なのか?」の説明がまったくできていないキングコング西野です。
さて。
今日は『コラボとは理念の共有である』という堅苦しいタイトルでお届けします。
タイトルは堅苦しいですが、内容は、すっごく分かりやすいと思います。
━━━━━━━━━━━━
▼ コラボという生存戦略
━━━━━━━━━━━━
社名を『(株)CHIMNEY TOWN』に変更してから(CHIMNEY TOWNブランドを立ち上げてから)というもの、積極的にサロンメンバーさんとコラボさせていただいております。
僕達から提供させてもらっているのは、「世界観」と「集客のお手伝い」と「ビジュアル」ぐらい。
コーヒーを作ったり、フィナンシェを焼いたり、Tシャツの製造したり……そういった仕事はサロンメンバーさんの会社にお任せしています。
実際にコラボをさせていただいていて「イイなぁ」と思うのは、「コロナで大変だろうから、何か手伝えることを探そう」といった感じで、コラボ相手に想いを巡らせ、会社の枠を越えて手伝ったりする機会があること。
今回のコロナで明らかになったのは、どれだけ隆盛を極めていても、業務内容を一つに絞っていると、それがコロナのターゲットに選ばれた瞬間に全て吹き飛んでしまうということ。
ウイルスのリスクはコロナ以降もあるわけですから、売り上げとリスクを分散させる生存戦略としてのコラボが、今、求められています。
あとは、“サービスや商品を「人」や「理念」で選ぶ機会が本当に増えてきた”という時代の流れもありますね。
「あの人の店に行こう」や「あの人が応援している人の店に行こう」などなど。
一昔前の「コラボ」と少し意味合いが変わってきています。
そんな「コラボ」ですが、10人のファンを持つA社と、同じく10人のファンを持つB社がコラボをした時に、「10人+10人で20個の商品が売れる」……という甘い話はありません。
そんな単純な足し算じゃないんですね。
これに関しては、コラボを繰り返しているYouTuberさんが毎日証明してくださっています。
その昔、「コラボ」といえば、並ぶハズがないブランドロゴが2つ並んでいるだけで、集客に繋がったわけですが、コラボに馴れた現代人の目は、それでは誤魔化せません。
(株)CHIMNEY TOWNもそこは徹底していて、「CHIMNEY TOWN」というブランドとして打ち出す場合は、とにかく「コピペ」を禁止しています。
絵本の絵をTシャツにプリントしちゃうようなアレです。
ファン同士の掛け算が生まれるような上手なコラボというのは、「ビジュアルの共有」ではなくて、「理念の共有」です。
重要視しなければならないのは、コラボ相手の「理念」であり、「歴史」です。
ここに最大級のリスペクトを払って、コラボ相手が懸命にこれまで守り続けてきたもの、これから守り続けていくもの、新しく作ろうとしている未来を徹底的に読み取って、そこに寄り添う。
「ビジュアル」は、理念の共有っぷりを可視化する為に存在する【コミュニケーションツール】です。
たぶん、これだけだと、ちょっとイメージつかないと思うので、具体例をあげて御説明します。
なんてったってキングコング西野は実践家。
語る言葉はいつも「自分の言葉」です。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼ 『えんとつ町のプペル』と『歌舞伎』のコラボの正解はどこだ?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
旬なテーマでいきましょう。
昨日、 市川海老蔵さんと『えんとつ町のプペル×歌舞伎』を仕掛けることを発表させていただきました。
※「感想は呟いていただいて構いませんが、具体名は呟かないでください」と再三にわたってお願いしましたが、「プペルの歌舞伎決定ー!やったー!」と呟かれる方がチョコチョコいらっしゃいました。
サロンのルールを守っていただかないと、サロンに投稿する記事にブレーキをかけなくちゃいけなくなるので、何卒、御協力ください。
「プペル」と「歌舞伎」のコラボの大正解を叩き出すのが今回の宿題です。
コピペは絶対に禁止。
ここでいう「コピペ」が何にあたるかというと、「映画の世界を歌舞伎で再現する」です。
ありがちなのは、歌舞伎の舞台にプロジェクションマッピング(映像表現)をふんだんに取り込んで、まるで映画の世界みたいな歌舞伎を作ることです。
しかしながら、「まるで映画のような○○」を作るのであれば、映画を作ればいいわけで、わざわざ映画から遠いものを、映画に寄せる必要はありません。
それをやった瞬間に「これなら、映画で良かったね……」と映画ファンが離れるので、コラボの役割を果たしておらず、「双方のファンに告知がいった、ちょっと話題になったイベント」として散ってしまいます。
昨日もお伝えしましたが、『えんとつ町のプペル』を歌舞伎でやる場合に『えんとつ町のプペル』から拝借しなくちゃいけないのは、ビジュアルではなくて、理念です。
「黒い煙に覆われて、星を知らない(忘れた)町の人達が、もう一度星を観るまでの物語」を、『江戸』を舞台にして描くことが今回のコラボの答えだと思います。
黒い煙に覆われた町で、ただ一人、星の存在を信じている少年の仕事場は、「星が探しやすい高い場所」であればよくて、『煙突』である必要はありません。
というわけで、歌舞伎版プペルに出てくる主人公の少年の仕事を「屋根葺(やねふき)」にしてみました。
「屋根葺」というのは、瓦屋根を張り替える職人さんのことです。
さて。
こうなってくると『煙突』が無くなるわけですが、煙突が無いと煙もありません。
ならば、煙突が無い江戸の空を、“何で”黒く染めたらいいのでしょうか?
そこで、あれやこれやと調べたところ、天明3年(江戸時代)に浅間山が信じられないぐらいの大噴火をして、火山灰が空を覆い、その後、日本史上最悪の飢饉が起きています。
浅間山は何度も噴火を繰り返し、飢饉は何年も続き、人々は絶望し、誰も空を見上げませんでした。
ココですね(^-^)
今回のコラボで捉えなきゃいけないポイントはココ(浅間山の大噴火&天明の大飢饉)で、この時期こそが、日本が「理念としてのえんとつ町」になった瞬間で、揚げ足を取り合って夢を潰し合う現代とリンクしている部分です。
浅間山の大噴火をキッカケに起きた大飢饉に襲われ、絶望した江戸の町に現れたバケモノ(護美人間)が、どういった手段で、再び江戸に星空を取り戻すのか?
これを表現するために「ビジュアル」が存在するわけで、シルクハットをかぶった少年を歌舞伎のステージに立たせる必要はありません。
プペルと歌舞伎で、理念(メッセージ)が重なっているところを丁寧に抽出し、描けば、絵本ファンも、映画ファンも、歌舞伎ファンも、『えんとつのプペル×歌舞伎』を面白がってくれることでしょう。
コラボって、こういうことだよね(^o^)
最後に、僕のラフスケッチを貼っておきます。
表に出しちゃダメだよ。
現場からは以上でーす。
 
▼オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』入会はこちら ↓↓↓