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2021年09月13日のエンタメ研究所の過去記事

9月13日(月) ※9月15日以降は『いいね』を押さないでください。
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おはようございます。
素敵なメロディーが降ってきて、そのまま作曲作業に入ったので、サロンの投稿が遅くなったキングコング西野です。
さて。
今日は『プロセスエコノミーが及ぶ範囲』というテーマでお届けしたいと思います。
「ここの線引きをキチンとしておこうね」という話です。
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▼ 人はどこまで想像できるのか?
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酔っ払っていたので詳しくは覚えていないのですが、昔、チームラボの猪子さんが「寿命以上前のことって、想像できなくない?」と言われて、「なるほどなー」と思いました。
「寿命以上前」という日本語があるかどうかは、この際、忘れてください。
猪子さんも酷く酔っ払っていました。
「80年~100年以上前」という認識でいいと思います。
たしかに、「50年前の日本(カップヌードルがヒットした年だそうです)」と言われると、さすがに生きていないので「映像」や「匂い」までは頭の中に出てきませんが、情報をかき集めれば想像することはできて、その時代の延長に『現代』があることも、なんとなく理解できます。
ところが、『江戸時代』と言われると、途端に、ファンタジー(作り話)になり、別の次元の出来事になります。
『江戸時代』の『延長』に現代があるとは想像し難く、高名な学者さんが「本当は江戸時代なんて無かったんだよ」とポロッと言えば、「へぇー、そうなんだー」と思っちゃうくらい。
想像できなくなるラインが「寿命以上」なのかはさておき、ある一定のラインを超えると、想像や共感が働かなくなることはありそうです。
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▼ 想像できなくなる「距離」もある
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今は「時間」を軸に話しましたが、「これ以上、離れちゃうと想像できない」という「距離」のラインも確実にあって…海外の貧困問題を想像できる日本人は極一部だと思います。
「世界のどこかには、食べるものに困っている人達がいる」という情報を仕入れても、どうも手触り感じがなく、「有村昆さんが不倫をした」には大いに想像が働きます。
「遠い」というのは、「習慣」「慣習」「慣例」「慣行」「恒例」「風習」「風潮」「流行」「習俗」「文化」「伝統」が全部違ってくるわけで、『ボリビアでコメンテーターが不倫した』というニュースが飛び込んできても、そもそも、ボリビア人の恋愛観を知らないから、それ(ボリビアでの不倫)がどれぐらいのものなのかが僕らには分からない。
一言でまとめると……
「遠いところに住んでいる人の苦労は共感できない」
です。
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▼ プロセスエコノミーが及ぶ範囲
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さて。
今日は、どうしてこんな話をしているかというと…僕はときどきサロンメンバーさんのお仕事相談(ニシノコンサル)をしているのですが、その中で、「アメリカに商品展開して、現地の人達にプロセスを売って行きたいのですが…」というご相談を受けたんです。
詳しくは聞けば、商品制作をおこなう場所は「日本」で、商品は勿論のこと、その制作過程を“遠隔で”アメリカの人達に売りたい…とのこと。
僕の結論を先に言うと「たぶん無理」で、理由は、上でご説明したとおり。
「遠いところに住んでいる人の苦労は共感できない」です。
ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』のプロデューサーのセトちゃんが言っていたのですが(※現地の方から聞いた話)、たとえば、ブロードウェイでは「社会的に虐げられた女性がのしあがっていく物語」を男性だけで作っていたら、再起不能になるまで炎上するそうです。
この話を聞くと、日本人は「なんで?」となるかもしれませんが、たとえば、キングコング西野が「Yahoo!ニュースのコメント欄にコメントを入れることを生き甲斐としている男の物語」を書いて、そこに「みじめなボク」みたいな台詞を入れたらどう思いますか?
「西野…てめぇ、Yahoo!ニュースのコメント欄にコメントをする人生を『みじめ』だと思ってんだろ? ふざけるなっ!」となりません?
ここまで身近な例で落とし込むと、なんとなく御理解いただけると思いますが、「『女性が成り上がっていく物語』を誰が書いたか?」というところまで見られ、書き手が女性じゃなかったら(執筆チームに女性が入っていなかったら)、もう大変なことになるんです。
これって、今みたいに、一回、別の例で置き換えないと、ピンとこないですよね?
特に日本人は、差別や宗教の問題には絶望的に疎くて、この地雷を踏みがちです。
かくいう僕も、世界展開を前提に『映画 えんとつ町のプペル』を作る時に学びました。
「なるほど。この表現を入れちゃうと、○○の国では流せなくなるんだ…」的な。
話を戻します。
僕らが遠く離れた場所に住む人の苦労や憤りを想像できないように、
遠く離れた場所に住む人達は、僕らの苦労や憤りを想像できません。
日本に住みながら、日本の苦労(プロセス)をアメリカに住む人達に売るのは、基本的には不可能で、もし現地でプロセスを売るのならば、自分かスタッフが現地に住む必要があります。
基本的に、プロセスエコノミーが及ぶのは、同じ言葉を使って、同じモノを食べて、同じような問題を抱えてある「共感圏内」に住む人達で、一歩外に出ると、ゴッリゴリの「アウトプットエコノミー」です。
つまり、『クオリティーの殴り合い』です。
グローバル相手に、プロセスを販売するのは、ほぼ不可能に近い。
またしても、猪子さんの言葉ですが、「向き合うべきは『グローバルハイクオリティーのNOコミュニティー層』か、『ローカルロークオリティーのコミュニティー層』か?」といったところ。
それでも外に出ていくというのならば、その際の打ち手としては、「共感圏内の人達にプロセスを販売して、そこで作った売上を『作品』や『製品』や『サービス』のクオリティーアップの為に充てて、クオリティーの殴り合いを制する」といった感じで、マネタイズの場所をキチンと整理した(絞った)方がいいのかなぁと思っています。
現場からは以上でーーす。
 
 
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