西野亮廣のエンタメsalon

西野亮廣エンタメ研究所の過去記事を中心にアップしてます

2021年10月22日のエンタメ研究所の過去記事

おはようございます。

友人に「タイムを求められないフルマラソンを走るのが、何がしんどいの?それが42.195kmだろうが、1000kmだろうが、 走ればいいだけじゃん。何も考えなくていいんだから、超ラクチンじゃん」と言った時に、「こんなヤツが他人から共感されることなど一生無い」と思ったキングコング西野です。

今日は「もう一つの未来を迎えに行く」というテーマでお話ししたいと思います。

まだ自分の中でもボンヤリとしていて、話の輪郭が定まっていないのですが、面白そうなので、この状態で共有したいと思います。

 

白熱する稽古現場
 
『映画 えんとつ町のプペル』の再上映がスタートしました。
泣いても笑っても「10日間だけ」のお祭りです。

「なんで、もっと長い期間やらないの?」とか、「なんで、もっと観やすい時間にやらないの?」という声をたくさんいただくのですが、今年は「再上映の信用」を獲得する年なのかなぁと思っています。
#それもあって上映館を絞りました

ちなみに、今夜は『渋谷HUMAXシネマ』さんで、20時55分から上映がありますので、劇場近くにある『CHIMNEY COFFEE』や『CHIMNEYTOWN ART COLLECTION SHOP』に立ち寄ったりしながら、遊びにいらしてください。

※こちら→https://www.humax-cinema.co.jp/shibuya/

さて。
そんな中、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』の制作がグイグイと進んでいます。

昨日はベラール役(※悪者)の岡幸二郎さんが、「こんな登場の仕方はどうだろう?」と素敵なアイデアを提案してくださって、稽古場にいる全員が「怖ぇぇーー!」と沸きに沸きました。

クリエイティブに踏み込んだ話をすると、今回の会場(東京キネマ倶楽部)は、もともとはグランドキャバレーだったので、あるハズの装置が無く、無いハズの装置があったりして、ライブをするのも一苦労なのですが、「演劇&ミュージカルをする」となると、さらに難易度が上がります。

美術セットを吊るす(天井の)バトンなんてものはないので、「美術セットを大々的に入れ換えて場面転換」みたいなこともできないんです。

「部屋の中」などのワンシチュエーションの物語であれば、それでもなんとかなりますが、『えんとつ町のプペル』は、「町」に「地下空間」に「煙突の上」に「煙の中」に「星空」に、大忙し。

「セットを転換せずに、どうやって場面を転換するんだよ」という問題があります。

さらには、劇場の造り上、「完全暗転(真っ暗ら)」ができません。
台本に「※ルビッチ、暗転中に舞台袖にハケ」と書いたところで、完全暗転ができないので、ハケていく姿が見られてしまうんですね。

そうすると、「台詞を言うためにステージに出てきて、台詞を言い終わったらステージからハケていった」みたいになっちゃうので、これも大きな問題です。

通常は、暗転中にセットを転換したり、役者が出たりハケたりするのですが、「完全暗転ができない」となると、「暗転が無い芝居」を作るしかありません。

もちろん、これは劇場装置の話なので、「稽古をスタートしてから分かったこと」ではありません。

ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』は、「先々、世界中のいろんなところで公演する」というロードマップ(計画案)があったので、「それならば、最初から、不便な場所で公演をおこなって、そこで作品の『雛型』を作りましょう」となり、(バトンも無い、暗転もできない)東京キネマ倶楽部に白羽の矢が立ったわけです。
「キネマ倶楽部でやれたら、次からは、どこでもやれるだろう」と。

ただ、問題を抱えていることは把握していましたが、問題の解き方を持ち合わせていたわけではありません。
それもあって、ファミリーミュージカル『えんとつ町のプペル』の稽古場は、「こうすれば、突破できるのでは?」というアイデアがたくさん飛び交っています。

実にクリエイティブな現場です。

 

違う未来
 
チーム一丸となって、大量のナゾナゾを解き続ける毎日で、その中からは「セットを吊るすバトンがあったら思いついてなかった最高のアイデア」や「完全暗転できていたら生まれていなかった最高のアイデア」が時々混じっています。

それらは、バトンや完全暗転を利用した演出を遥かに凌いでいて、その時、僕らは「不便」に感謝します。

ここからが今日のパンチラインになってくるのですが……

僕らは今、誰かが解決してくれた不便の延長に生きています。

『砂利道』だと走りにくいから『アスファルト』が生まれて、セットや役者を入れ換える為に『暗転』が生まれ、僕らはそれを利用しています。

当然、『アスファルト』や『暗転』に不便を感じることはありませんから、僕らは「走る道」や「セットや役者の入れ換え」に【創造】を持ち込みません。

基本的には、【創造】をもたらしているのは、不便であって、「便利と創造は反比例関係にある」という話です。

ここで問うべきは、『「走る道」や「セットや役者の入れ換え」がまだ不便だった頃には、アスファルトや暗転以外の、別の解決策があった』ということです。

あの時、違った選択をしていれば、違う未来があったということです。

淘汰された結果が今なので、大体の場合においては最適解が残っていて、これらを無視してゼロから作るのは(車輪の再発明)、不発に終わるケースが多いのですが……しかしながら、時代は流れます。

いつかの時代の最適解であった「ソロバン」をアップデートしたところで、「スマホの計算機」にはならないように、『暗転』がいつまでも最適解とは限りません。
少なくとも今回の作品においては「暗転を失ったことによって生まれた演出」が功を奏しています。

西野はよく「その地点から思考をスタートさせるからキミは創造ができないんだ」と言いますが、これについて説明します。

イメージでお話しして申し訳ないですが、『創造』は「木の枝」のような感じで、かなり根元に立ち返って、あの時に右の枝に進まずに、左の枝に進んでいたら、また全然違った枝の分かれ方(伸び方)をしていて、時々、その先に、とんでもねー『実』がなる場合がある。

なので、以上のことを踏まえて、一度、作為的に『不便』を作って(不便な状況に飛び込んで)、そこから「今の知識と今のテクノロジーで何ができるか?」を考えると、人が『創造』と呼ぶ答えに辿り着くかもしれません。

今回の舞台で、そのことを何度も経験しているので、考えが固まってしまう前に皆さまに共有させていただきました。

現場からは以上でーす。

 

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