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2022年02月15日のエンタメ研究所の過去記事

さて。
今日は『老人の国のコロナシフトを組め』というテーマでお話ししたいと思います。
職業柄、エンタメを軸にお話ししますが、たぶん、すべてのサービスに置き換えられる話だと思います。

 

そんなものを「ロマン」と呼ぶな

エンタメの世界に飛び込んで20年以上経ちますが、まわりを見渡すと、日本においては特に、“活動を資産化できている(活動を資産化することを考えている)プレイヤー”がほとんどいません。

多くのプレイヤーが、その日暮しの自転車操業で、身体を壊したり、あるいは、人知を超えた力(地震やコロナなど)によって、公演が中止したり、出演がなくなったりすると、収入が止まってしまいます。

当然、プレイヤーの家族も、その煽りを受けます。

レギュラーの仕事を「安定」とするきらいがありますが、厳密には「まだ安定している」といったところで、やはりレギュラー仕事も“自分の責任”ではないところで、休止させられたり、終わらされたりするリスクがあります。

もっとエグい問題として、これだけゲームチェンジが頻繁に起きる時代において、レギュラー仕事(=型が決まった仕事)というのは機会損失(例:「NFTを学ぶ時間を作れない」)を連発してしまう爆弾を抱えていて……長期的に見た時に、「安定」から最も遠い仕事とも言えそうです。

両手両足を骨折して、地震カミナリ火事オヤジ&コロナに襲われても、せめて、家族やスタッフを守りきれるだけの収入源の確保が必要だと僕は考えていて、その為にやらなければいけないのは、「小さくてもいいから、資本になるように活動する」ということだと思います。

「仕組みを作ること」に重きをおいている経営者さんからすると当たり前の話かもしれませんが、どっこい、芸人(タレントやアイドルも含む)は、なかなかその発想にはなりません。
「目の前のニンジンが美味しすぎる」という問題もあるのかもしれません。

では、なぜ、西野だけが「資本だ!資本になるように活動しろ!資本にならない活動はボランティアだと思えー!」と、資本の重要性を叫んでいるのでしょうか?

それは西野の頭が良いとか悪いとかの話ではなくて、『バズる』はないけど、『ロングセラー』はある【絵本】というものが活動のルーツにあるからだと思われます。

先日、フランス語版の『えんとつ町のプペル』に重版がかかったのですが(ありがとうございます!)、一度、受け入れられた絵本というのは本当に息が長く、今も少しずつ、ずーっと重版がかかっています。

ここ最近は、映画やミュージカルや歌舞伎にかまけて新作絵本を発表していないのですが、『キンコン西野のサイン本屋さん』では、毎日20~30冊ペースで注文が入っています。

キンコン西野のサイン本屋さん→https://nishino.thebase.in/

 

一方で、死ぬ思いをして熱狂を作った、あの日のイベントや、あの日のライブは今、一人のお客さんも呼んでいません。

「資本化の重要性を知るには絶好の環境で活動させてもらっているから」というのが、この問いの結論です。

話を戻します。

芸人は、たとえばライブを企画する時に「チケットを完売させよう!」と考えることはあっても、「資本になるようなライブ作りをしよう」とはなりません。
それは“興行主”の仕事になっています。

だけれど、先ほども申し上げた通り、それだと、どこまでいっても(客席を埋めても)自転車操業で、どこまでいっても綱渡り。
それを美徳とし、「ロマン」と呼ぶ空気すらあります。

そして、ついに新型コロナウイルスが襲ってきて、これまで「ロマン」という名のオブラートで包んでいた自転車操業に営業停止処分が出されました。

今、多くの芸人と、その家族が悲鳴をあげています。

 

 今、活動を見直さないで、いつ見直すつもりだ?

僕らは今、ある日突然、不可抗力によって活動が止められてしまう時代を生きています。

こと芸人においては「デジタルデータの権利」を持っていないと、廃業がチラつく始末。
生活の為にUber Eatsでバイトを始めるものの、相変わらず、権利の主張(獲得)には汗を流さない。

それは「怠慢」とも呼べるが、一方で、権利の主張を許さない業界の風潮もある。
権利を主張した者を「抜け駆けをしやがった!」と叩く国民性もある。
#全員まとめてキモイ

話し合うべきだと思います。
はたして自分達の活動がコロナ時代の最適解なのかどうかを。

ミュージカル『えんとつ町のプペル』がオンライン配信できたことも、
『毎週キングコングin日本武道館』がオンライン配信できたことも、
新作歌舞伎『プペル ~天明の護美人間~』がオンライン配信できたことも、
とても大きかったと思います。

ぶっちゃけ、これは、コロナ関係無しに大きい。
予算回収の選択肢が増えたことによって、これまで以上の規模でエンタメを仕掛けることができるし、弱い人に届けることができる。

ただ、一つ言えることは、ミュージカルにしたって、歌舞伎にしたって、武道館にしたって、吉本興業松竹芸能や、その他、たくさんの事務所、関係者の方々に、かけ合わないと、ある日突然「どうぞ。オンライン配信やってください」とは言われないということだ。

資産化していくことを考えなきゃいけないし、
声をあげなきゃいけないし、説明し、話し合い、説得していかないと、それらは何も獲得できない。

なんだか、途中からゴリゴリのタメ口になってるけど(※たぶん熱くなってる!)、このまま進めます。

僕らは、もっと本気でコロナシフトを組まなきゃいけない。
ポイントは、「“老人の国の”コロナシフト」だ。

今、この国は、様々な移動が制限されている。
相変わらず鎖国も続いている。
挙げ句、濃厚接触者まで隔離期間を設けられる。
ちなみに、インフルエンザの濃厚接触者に隔離などない。

それらの判断の根拠となっているのが、致死率ではなく、支持率であることは明白だ。

そもそも家を出る機会の少ない年輩者からすると、自分以外の人間の移動が減ろうが関係ない。
鎖国しようが、9時で店が閉まろうが、自分には関係ない。

むしろ、たまに外出した時に、人が少なかったら安心だ。
その環境を作ってくれる行政には感謝しかない。

老人の老人による老人の為の政治がおこわれている国に、僕らは生きている。
そして、これはもう変わらない。

「もっと合理的な判断をしろ!」と叫んだところで届かない。
彼らにとっての合理的な判断をした結果が今だ。

昨年12月に僕はオミクロンが大爆発中のニューヨークにいたが、ミュージカル『ハミルトン』は大盛況。
観客はマスク越しに声を上げていた。
翌日、出演者の中から陽性者が出て、公演は中止になったが、二日後にはケロッと再開していた。

アメリカもそこその老人の国だが、「子供達の世代のことを考える国民性」が勝っているので、経済をまわす大切さを知っている。

日本が、このノリを獲得することは、ほぼ不可能だろう。

これらを踏まえて、老人の国のコロナシフトを組む必要がある。

演劇界では今日も当たり前のように『ゲネプロ』がおこなわれている。
本番同様に舞台上でおこなわれる最終リハーサルだ。
作品のお披露目をかねて、そこに関係者を呼んだりする。

今、それが必要か?

本番と同じ動きをして、客席を関係者で潰すのであれば、オンライン配信用の撮影に充てた方がいいじゃないか。

今日、陽性者が出れば、明日(舞台初日)から、ずっと公演休止だ。
下手すりゃ一度も上演しないまま終わることもあるだろう。

当然、売り上げはゼロ。
残ったのは、一度も使うことのなかった舞台セットや衣装や照明や音楽の支払いだけ。

もう一度言うが、もっと話し合うべきだ。

神頼みの博打経営なんてしちゃダメだ。
合理的な判断をすることがないことが明らかになったこの国で、どう生き延びるか?

勝つのは後でいいから、悪政が続いても死なない方法を見つけだすことが先決だと思います。

なんか熱くなっちゃった。
最近、熱くなっちゃうな。

現場からは以上です。

 

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