西野亮廣のエンタメsalon

西野亮廣エンタメ研究所の過去記事を中心にアップしてます

2021年05月01日のエンタメ研究所の過去記事

5月1日(土) ※5月3日以降は『いいね』を押さないでください。
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おはようございます。
最近、よし子(僕の母親)が送ってくるLINEの文章の「~よろしくね」の「ね」が、ブリブリに可愛いデザイン(ほぼ絵文字)の「ネ」になってしまってしまったキングコング西野です。
さて。
今日は『アート作品の最大単位』というテーマでお届けしたいと思います。
ちょっと朝令暮改まじりの(ごめんて!)、昨日の記事の続編です。
※昨日の記事をまだ読まれていない方は、先に昨日の記事をご確認ください。
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▼ あらためて…「テーマパーク」ではなく「町」を作る
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昨日は「個人で土地を買ったけど、何に使うのがいいっすかね?」という問題を投げさせていただきました。
こういった機会に皆さんの声を聞かせていただくのは本当に勉強になります。
というのも『西野亮廣エンタメ研究所』というチームが、今回の場合でいうと「町づくり」をどう捉えているか?が浮き彫りになるので(笑)
そんなこんなで昨日の皆様からのご意見は全て読ませていただきました。
その上で、「今一度、方向性を共有しておいた方がいいな」と思ったので、まずは、そちらからお話しさせていただきます。
昨日のコメント欄には、いろんな意見がありました。
たとえば、「『えんとつ町の貸衣装屋さん』なんて面白いんじゃないか?」などなど。
楽しいアイデアで結構なのですが、それだと『イベント』の領域から出ていません。
つまり、
『ディズニーランド』や『日光江戸村』と同じ商品棚に、『えんとつ町』を並べてしまっている。
ファンタジー作品(絵本・映画)由来の空間を作るとなると、どうしてもそういう思考になっちゃうのですが(超わかる!)、それだと「現実」と「ファンタジー」の間に境界線が生まれてしまいます。
僕が作ろうとしているのは「テーマパーク」じゃなくて、「町」です。
京都やベネチアやブロードウェイのように“景観や文化に統一性がある”「コンセプトシティー」です。
そこにはリアルな生活があります。
「行く場所」ではなくて、「住む場所」で、「住む場所」の作り込みが見事すぎて、一部の人にとっての「行く場所」になっている。
コンセプトシティーは、そんな曖昧な場所です。
テーマパークは100%「行く場所」になっていて、(例にあげておきながらアレですが…)京都やベネチアは「行く場所」の割合がちょっと増えすぎていると思っています。
「行く場所」の割合を増やせば増やすほど、お客さんの取り合い(広告合戦)になり、くわえて、「ウイルスに弱い場所」となります。
まずは、「インバウンド消費がゼロになっても経済活動が止まらない場所」にすることが大切で、僕らがコンセプトとして持っておかなくちゃいけないのは、「【町】は弱い人を守る為の【互助活動の場】としてあるべき」という考えです。
「集客力(広告力)のない者が立ち退きを迫られる場所であってはいけない」と僕は考えています。
最初に寄り添うべきは絶対に(もうホントに!)「住民」で、そうなると「住みやすさ」を後回しにしてはいけません。
昨日、土地の使い方のアイデアを募集する時に「住宅街に馴染むもので」という条件を出させてもらったのは、その為です。
そんなこんなで本題です。
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▼ アート作品の最大単位
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まずは何をするにも「優しさ」が必要です。
誰かに負担をかけてしまうような活動は長くは続かないので。
その次に、やっぱり「面白さ」が必要です。
「優しい町を作る」といっても、それが面白くないものであれば、それは僕がやる仕事ではありません。行政がやるお仕事です。
僕がやるからには「面白さ」は必要不可欠で(※じゃないとサロンで追いかけている意味もない)、今回の土地の使い道も、面白くないといけません。
後出しになって申し訳ないですが(事前に言っちゃうと意味がないので)、実は、昨日の記事に対して、「僕はこの土地で○○をやりたいです。手持ちのカードは△△で、××までには〜」みたいな感じで完璧な事業プランを投げてくる方がいたら、その方に合わせた建物を建てて、お貸ししようと思っていたんです。
昨日のコメント欄を「二度とないチャンス」と捉える嗅覚を持ち合わせている人なら、お任せしてもイイ感じにしてくれるだろう、と。
しかし結果として、「〇〇をやりたいで〜す(※具体的なプラン無し)」「△△をやったら面白いんじゃないですか?」というコメントが続きました。
……これは僕自身の問題として、今回の土地のバリューをまだまだ提供できていないんだなぁと思いました。
くわえて、今回の土地は道路一本“中”に入った場所(少しだけ入りくんだ場所)にあるので、「人の流れ」を考えた時に、そこを店舗にしてしまうのは違うのかなぁと思いました。
整理すると…
・「土地を買ってサロンメンバーに提供するのは、土地のバリューをつけてから」
・「サロンメンバーに店舗として提供する土地は、通りに面した土地の方がいい」
といったところ。
自腹で土地を買って、サロンメンバーさんにお貸しするのは、引き続きやるとして‘(引き続き、近所でイイ感じの土地を探します!)、とりあえず、今回の土地の使い方を昨日、考えてみました。
結論は、「『作品』として、西野が住みたい家を作って、売る」です。
これまで、『漫才』『絵本』『舞台』『映画』といった単位で作品を作ってきましたが、物理的に最大単位としての『家』をゼロから作ろうかなぁと。
今、僕が住んでいる(改装工事を千万回やっている)家もそうなのですが、僕は建物(空間)に対する「こだわり」がメチャクチャ強いんです。
特に、「自分が住む家」となると、過ごす時間が最も長いわけですから、なるべく楽しい方がいい。
(土地が狭い)日本の住宅となると、途端に、「延べ床面積を無駄なく使う」みたいな感じで建てられてしまうのですが……たとえば、皆さんが今いる部屋の四隅ギリギリに立ったことありますか?
日常生活で「部屋の四隅に立つ」なんてことないですよね?
延べ床面積ギリギリまで使って部屋の面先を広くとっていますが、そこ(部屋の隅)、使ってないんですよ。
じゃあ、なぜ、「使わない場所を作っているか?」というと、(もちろん予算の問題もありますが)「なるべく広く見えるようにしたいから」という【気持ち】の部分があると思うんですが……「直角(90度)」って圧迫感があるんです。
つまり、狭く感じてしまう。
僕、自分で住みながらリフォーム(ビフォア/アフター)をずっと繰り返している人間なのですが、自宅の寝室が広くなったのは、寝室の四隅を潰して、「カーブ」にした時でした。
寝室の面積は小さくなっているのですが、圧迫感が消えて、広く感じるんですね。
潰してカーブにした角は、どのみち「立つことのない場所」なので、それでいい。
「最高の調味料は空腹」といいますが、人が物事をジャッジをする時は、ジャッジマンとなる人の体調やメンタルが大きく影響してくるわけで、空間を作る時も、そこ(人の状態)を無視してはいけません。
リビングを広くしたいのであれば、リビングの前で「くぐる(頭を下げる)場所」を設けた方がいい。
「ディズニーランドの入場ゲートが混んでいるから、入場ゲートを抜けた先の景色が鮮やかに見える」みたいなノリです。
そんな感じで、「作品」として家を建ててしまって、その家が売れるまで僕がそこに住めばイイと思いました。
まったく売れなかったらそのまま住めばいいし、「西野亮廣が住んだ時間」が長ければ長いほどその家に価値が出るように、僕がお仕事で頑張って、歴史に名を刻む結果を残せば、損は無い。
そして、その家を売ったお金で、また次に家(作品)を近所に作る。
「自分が住む家」がスタートなので、隣にガチャガチャした施設や、ワケのわからない人混みが発生したら絶対に嫌なんですね。
そこさえ守っていれば、最終的には「作品群が立ち並んだ町(超巨大な個展会場)」になっても、皆、幸せなのかなぁと思います。
昨日、さっそく土地の資料を取り寄せて、建築士の只石さんに共有して、さっそく家のデザインに入りました。
住みながら、自宅を売ることになるので、西野の自宅の住所はモロバレです。
どうか、イタズラをしないでください。
アート作品として、ぶっちぎりに楽しい家を作ります。
現場からは以上で〜す。
 
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