西野亮廣のエンタメsalon

西野亮廣エンタメ研究所の過去記事を中心にアップしてます

2021年12月17日のエンタメ研究所の過去記事

こんにちは!
相槌が完全に「あ、は~ん」になったキングコング西野こと「外国人」です。

さて。
今日は、「アメリカに来て、作品を発表し、たくさんのレスポンスをいただく中で、痛感したこと」を、サロンメンバーの皆さんに共有したいと思います。

又聞きではなくて、僕が感じたことを、包まずにお話しします。
「日本のズレ」を知る上での参考にしていただけると幸いです。

 

日本は何時だ?

本題に入る前に…

NYからLAに移動してきたわけですが、この二都市の間も3時間の時差があります。
僕は、日本に向けて、毎日、サロン記事とVoicyを投稿しているので、時差変更が繰り返されると、なかなかリズムが掴めません。
「前回投稿した記事(音声)は、日本だと、何月何日分だっけ?」といった感じ。
そして、仕事のスケジュール上(分刻みのスケジュールなので、基本、会食終わり“夜中”しか身体が空いてないっす)、サロン記事やVoicyの更新時間も定まりません。

投稿時間がグワングワンとズレてしまってごめんなさい。

ただいま、LAは夜中の2時半。
ようやく時間が空いたので、こうしてサロン記事を書いています。
不慣れな環境で、どっこい生きています。

そんなこんなで、本題です。

 

意識が違うと、表現&感想も変わる

今から、お話しすることは「日本の現在地」を知る上では、とても大切なことだと思います。
インプットもアウトプットも内側を向いてしまっている日本は今、「道徳」のアップデートが極端に遅れています。
たとえば、「世界国際フォーラムのジェンダーギャップレポート」の2021年のレポートでは、日本は156カ国中120位にランクイン。
先進国のうちほぼ最下位となりました。
ジェンダー問題? 何それ?」が日本の現状です。

日本では、男女格差は当たり前のようにあり、レズビアン、ゲイ、バイセクシャルトランスジェンダーに対する差別は残っています。

ハリウッドのコミュニティーに潜り込んでみて、感心したことがあります。
それは、「him」や「her」といった言葉がここ最近、「they」に代替えされているということ。
「『they』だと複数形になるじゃん」という疑問があるのですが、そんなことよりも、性別を示す単語を少しずつ消す方向に進んでいるのです。
アメリカの他の都市はどうか知りませんが、少なくとも、ハリウッドのコミュニティーでは、そういった動きが起きています。

環境問題に対する関心も、日本は高くありません。
G7各国の企業関係者700名を対象に実施された調査では、今、世界で問題になっている「マイクロプラスチック問題」に関する、国、企業、個人の意識、行動レベルは全て日本が最下位。

こういったことに関する意識・関心の低さは、「ジェンダー問題の取り組みが遅れる」「環境問題の取り組みが遅れる」以外に、様々な場所に表れることを知っておいた方が良いでしょう。

たとえば、『映画 えんとつ町のプペル』は、日本だと、「『出る杭は打たれる』を表現した作品」という扱いになりますが、一度、海外に出てみると「環境問題に向き合った作品」という扱いになることがあります。

『えんとつ町の煙』が、「僻み」や「やっかみ」といった受け取られ方をせず、
『ゴミ』が、「その昔、大切にしていた夢」といった受け取られ方をせず、
どストレートに「公害」として、受け取ったりします。

これは「読解力」の問題ではなく、「お客さんが向き合っている事柄(お客さんが置かれている環境)によって、置き換えられる先(比喩)が変わる」という話です。

えんとつ町のプペル』は、絵本だと、プペルとルビッチが「煙の上にある星」を見つけますが、映画だと「煙の上にある星」を皆で見ます。
その為、映画だと、「黒い煙を晴らす」という展開になるわけですが、『えんとつ町のプペル』を「環境問題に向き合った作品」として捉えている人からすると、「プペルとルビッチが煙の上にある星を見つけた」は、ハッピーエンドにはなりません。

環境問題が解決していないからです。

「環境問題に向き合った作品」として捉えている人達に届けようと思うのであれば、ラストシーンは、煙を晴らさないといけない(煙を晴らさないとハッピーエンドにならない)んです。

「意識&関心の違いが、表現&感想に響いてくる」ということを理解していないと、「日本ではハッピーエンドとして認識されるのに、世界ではハッピーエンドとして認識されない」といったような落とし穴にハマります。

 

生産せずに「イジる」日本

先日、ウーマンラッシュアワーの村本君がテレビで、「弁当廃棄問題」を取り扱ったネタを披露しました。

その中で「宮迫弁当は廃棄され、加藤弁当も廃棄され、西野弁当は、自らゴミ箱に行った」とネタにして、笑いが起こったことに対して、僕が「日本人が何を笑っているのか分からない」とコメントをしたところ、少しザワザワしました。

皆さんが、それぞれに、「あれは三段オチなんです(勢いで笑うやつなんです)」とか「あれは、ゴミ人間とかけているんです」といった感じで、実に懇切丁寧に、デビュー1年目で関西の漫才賞を総ナメにして、一人で武道館のお客さんを湧かせるキングコング西野に「お笑い」を教えてくださいましたが……これからアメリカに挑戦する村本君には少し申し訳ないですが、あのスタンスは海外だと100%ウケません。

「挑戦している彼を、どうして笑うの?」という“疑問”を持たれて終わりです。
それは正義感とかではなく、本当に何が面白いのかよく分からないのです。

「何が可笑しいの? ちょっと詳しく教えて」です。
そこで詳しく説明すればするほど、オーディエンスは離れていくでしょう。

「政治に対して意見を持ち、ジョーカーとして政治家にブラックジョークをぶつける」ということと、「他人をイジる」というのは、まったく別で、日本人がやる「他人をイジる」は、昨日の記事でもお伝えしたとおり、極めてドメスティックな…ともすれば世界的には「差別的」なパフォーマンスになります。

たとえば、

長崎の離島(町民200名)に、東京に出て起業することを目標に頑張る若者がいたとして、その彼を、その離島のコミュニティーFMのお爺さんパーソナリティー(ラジオDJ)がイジって、町民が笑っていたら、正義感とかじゃなくて、シンプルな疑問として「え? 東京で起業するために頑張ることの何が可笑しいの?」となりませんか?
ちょっと、狂気的ですよね?

日本は今、その感じです。

話をまとめると、「日本エンタメの世界進出にブレーキをかけているのは言語の問題(英語が喋れないから)だけではない」ということです。

どうか、このことを次の世代の子供達に伝えてあげて欲しいです。

向き合っている問題や、その問題への参加度が違ってくると、当然、アウトプットは変わってくるので、サロンを通じて、「今の日本は、ここが、これぐらいズレているよ」ということを丁寧に共有していけたらいいなぁと思います。

現場からは以上です。

【追伸】
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